「資格を取れば安心」は危険!市場の需給バランスを見極めよう

コラム

将来への備えとして「資格を取ろう」と考える人は非常に多いのですが、「資格を取れば安心だ」という考えは捨てた方がいいかもしれません。

弁護士や税理士などの難関国家試験をはじめとして、昔から日本には「資格を取る=将来安泰」という風潮が根付いています。

しかし今は「難関資格ホルダー」であっても職にあぶれているのが実情です。

その理由は私たちを取り巻く社会の変化、とりわけ「市場(マーケット)」が大きく動いてしまったからです。

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市場(マーケット)の変化

市場(マーケット)とは、あるモノを欲しい人(需要者)と提供する人(供給者)がお互いの価値を交換しあう場所のことを指します。

例えば昔の「物々交換」は、市場(いちば)に人が集まり「米一俵と馬一頭」という二つの価値を交換することでマーケットを形成していました。

貨幣が流通した現代において交換する価値は「お金」に変化しましたが、市場の原理は物々交換と変わりはありません。お米を欲しい人(需要者)がお金を支払い、販売店(供給者)がお金と交換という形でお米を提供します。

市場の原理は商品やサービスだけではありません。

実は企業が人材を雇ったり仕事を依頼する場合にも市場原理は働いています。「雇用市場」とか「転職市場」という言葉を聞いたことがあると思います。

例えば企業が転職者を雇う場合、前職での実績やスキルを職務経歴書や面接によって判断しますが、これはその人の持っている「市場価値」を判断するための行動です。

転職者(供給者)の市場価値が1,000万円あると企業側(需要者)が判断すれば、報酬の1,000万円と交換する形でその人を雇います。

年棒制が採用されている「プロ野球」は、さらに厳しいマーケットと言えます。

ホームランを量産する4番バッターには「数億円」という報酬が支払われますが(アメリカメジャーリーグでは数百億円!!)、ケガなどによって不振が続けば減額もしくは解雇が待っています。

これは選手が持っている「市場価値」が変動してると言い換えることができます。

市場価値が上がるもう一つの要因

マーケットにおける価値は「そのモノが持っている本来の価値」とイコールであるとは限りません。ある理由でモノが持っている本来の価値とはかけ離れた高額な値段が付けられることがあります。

その要因が「希少性」です。

希少とは需要に比べて供給量が少ないことを意味し、両者のギャップが大きければ大きいほど希少性は高くなり価格も上昇する傾向があります(これを「希少価値」と呼びます)。

2020年に新型コロナウィルスが流行しましたが(この記事を書いているのはまさに流行のど真ん中です)、マスクが品薄になり一時期「マスクの高額転売」が問題になりました。普段数百円で買えるはずの50枚入りのマスクが、インターネット上で数万円という高額な値段で取引されたのです。

道義的な良し悪しは別として、これも希少価価値の好例と言えます。「マスクが欲しい」という需要に対して、ドラッグストア店舗ではマスクの供給量がほぼゼロになりました。需要と供給のバランスが崩れることで「希少価値」が生まれ、多くの人が高額なマスクを「買わざるを得ない」状況になりました。

「英語が喋れる」は希少価値だった

希少性は「資格やスキル」にも現れます。

以前日本のビジネスシーンにおいて「英語が喋れる」というのはステータスでした。英検準1級以上の人やTOEICでハイスコアを出す人を、企業は喜んで採用をしていました。

その理由は「英語を喋れる人が少ないから(=供給が少ない)」に他なりません。グローバル化に伴い「英語を喋れる人材が欲しい」という需要に対し、ビジネスレベルで英語を使える人材(供給)は非常に少ないのが現状です。

世界的に見て日本の英語レベルは低く、残念ながらこの先もしばらく「ビジネス英語を使いまわせる日本人」の供給量は少ないままでしょう。改善するためには幼少期からの英語教育から見直す必要があります。

教育的な問題はさておき「英語を話せることが今後も高い価値を生むのか?」という点に関しては、僕は懐疑的な意見を持っています。

まずひとつめにAIの発展です。

現在「ポケトーク」をはじめとして多くの「翻訳機」が開発されています。

今は海外旅行先で使える「日常会話レベル」が限界ですが、今後ビジネスでも使える翻訳機が出てくるのは必至です。つまり英語を話せなくても翻訳機を介せば誰でもビジネスが成立する時代が来るのです。

そしてもう一つが外国人労働者です。

マレーシアやシンガポール、フィリピンといった東南アジア諸国の人たちは、日本とは違い英語レベルが高いです。

日本人の学生たちは「英語留学」と称してフィリピンのセブ島にこぞって行きますし(なぜアメリカやイギリスなどの英語圏でないのか?はさておき…)、DMMをはじめとするオンライン英会話でも東南アジア系の講師が多いです。

彼らの中には日本語が堪能な人も多く、日本企業もわざわざ英語を喋れる日本人を高い報酬で雇うよりも、「英語も日本語も話せる東南アジア人」を採用した方が低コストで済みです。「経済大国日本で働きたい」という意志を持っている東南アジアの人たちも多く、人件費を安く抑えたい企業にとってもwin-winなわけです。

これからの日本では「英語が喋れます」というスキルに対する価値は、右肩下がりであることは頭に入れておく必要があります。

「資格を取れば安心」の時代は終わった

英語と同じようなことが「弁護士」の世界でも起きています。

かつての日本では弁護士は希少性の高い職業のひとつでした。

司法試験の難易度は国内でも最高峰を極め、日本弁護士連合会(日弁連)の資料によれば1990年ころまでの合格者は500名で推移していました。

ところが2006年の新司法試験制度の導入により、一気に年間合格者が2,000人を超える数まで増加。弁護士の急増が問題視されて数は減ったものの、それでも2019年度の合格者数は1,509名と、以前の約3倍です。

司法試験合格者の急増により市場の内部で需給のバランスが大きく崩れ、「仕事にありつけない弁護士資格ホルダー」が急増しました。弁護士は増えても、裁判や紛争の数(=需要)は増えていませんから当然です。さらに少子高齢化が進み日本の人口の減少が確実視されている今後は、さらに需要は減って行くでしょう。

長い年月をかけて博士号を取得したにも関わらずファストフード店のアルバイトとさほど変わらない待遇で働く「ポスドク」も最近話題になっていますが、かつて「憧れの的」であった超難関資格でさえ「持っていれば安心」な時代は終わったのです。

資格を取るなら需要があって供給量の少ないものを

これからの時代を生きていくためには「とりあえず何か資格を取っておけば」という思考停止状態から抜け出すことが大切です。

「資格ありき」ではなく、市場(マーケット)を見て「どの資格の需要があるのか」を見極め、さらにその需要に対して「供給量が少ないもの」を選ぶ必要があります。

先ほども述べた通り、いくら需要があっても供給過多なら必ず「競争」が起こります。競争に勝つには過去の実績や「差別化」によって他者よりも抜きんでる必要があります。

供給過多の市場では「○○の資格を持っています」だけでは通用しないのです。

例えば近い将来、人手不足が確実視されているのが「プログラマー」です。スマホゲームやVRなどのIT市場は急成長しています。

これはほんの一例ですが、常にアンテナを張って需要が伸びている(または伸びそうな)分野を察知し、その市場の流れの波に乗っていくことが今後求められます。

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